ヒョードルの戦績や身長は!?引退試合の戦績はいかに!

[氷の拳 人類最強皇帝ヒョードル]

2021年10月24日、母国となるロシアでラストマッチ(引退試合)を行い、
45歳にして106秒KO勝ちをしたエメリヤーエンコ・ヒョードル

日本で総合格闘技ブームに沸いていた2000年代に名を馳せた人物で、総合格闘技に詳しくない人でも名前だけは耳にしたことがあるかもしれません。

数々の大男をその容赦ないパンチ、絞め技でマットに沈め、冷静な眼差しと冷酷なファイトスタイルから「氷の拳」「ロシアの皇帝」と畏れられた男の最後の試合も圧倒的な勝利で飾り、人類最強・相変わらずの化け物と話題になっています。

そんなヒョードル、なぜ人類最強と謳われたのでしょうか。

ヒョードルの戦績や身長は!?

エメリヤーエンコ・ヒョードルは1976年にロシアで生まれた男性の総合格闘家です。

身長183センチ・体重101kg。格闘家としてはあまり大柄の部類ではない様です。

戦績は2021年10月23日時点で47試合中 40勝6敗1引き分け。

少年時代に柔道・ロシアの柔道とも呼ばれるサンボを学び、青年期には柔道でオリンピックも十分狙えるほどの相当な実績を残していたのですが、国家の支援が得れずオリンピックを断念しました。

その後、日本のプロレスラー前田日明が立ち上げていたプロレス団体「リングス」がロシア国内でジムを運営していたことから通う様になりました。

なお、この「リングス」は2000年代の「K-1」「PRIDE」といった総合格闘技ブームが起こる以前より、総合格闘技・真剣勝負を模索していた団体でした。

ヒョードルの日本デビューはいつ!?

2000年にはオーディションに合格し日本のリングスでデビュー。

初戦をパンチによるノックアウト勝ちで飾ったヒョードルは、その後も破竹の勢いで勝利を重ねていき、参戦1年後となる2001年には同団体の真剣勝負試合のトーナメントを勝ち抜きチャンピオンとなったのです。

その後、リングスが活動停止となったのを経て2002年に総合格闘技団体「PRIDE」へ参戦。

初戦から2mを越す大男、のちに「K-1」チャンピオンに何回も輝いたセーム・シュルトと対戦。
判定勝ちを収めるとその後もリングスの時同様破竹の勢いで勝ち続け、2003年には同団体のヘビー中王座に君臨することとなったのです。

ヒョードルと小川直也の対戦

2004年には小川直也とも対戦。

柔道を学んでいたヒョードルはオリンピック銀メダリストの小川を尊敬している、と試合前に発言していたものの、いざ始まれば54秒で容赦なくマットに沈めてしまいました。パンチの連打から決め技が「腕ひしぎ逆十時」という柔道技であったのも何か思うところがあったのでしょうか。

総合格闘技では、自分の学んでいた格闘技からパンチ・キックなどの立技と絞め技・関節技などの寝技どちらかに得意分野が偏る事が多いのですが、ヒョードルは立ってよし、寝てよしのバランスの取れたオールラウンダーでした。

立ち技ではその容赦ない拳の連打に苦しめられ、寝技では柔道・サンボ仕込みの関節技で仕留められる。投げられて首から落ちたのに何事もない様に立ち上がり相手を沈める。

目を離せない機械のような冷酷な試合ぶりに、
誰しもが人類最強の男と感じたからこそ様々な代名詞が生まれたのでしょう。

しかしそんな最強と謳われた男も、やはり人間。激しい試合を重ねる中でその両拳が悲鳴を上げ、2006年に右拳の手術に踏み切りました。殴りすぎて拳がついて来なくなったっていうことも、なんか人間離れしていますよね。

誰しもが過去の様な試合ぶりは期待できないと思っていたのもお構いなく、
復帰後も勝利を重ねていき最強の称号は揺るぎないものとなっていくのです。

世界中の強豪と謳われる選手との戦いを経て、数多の選手が口を揃えてそのスピード・パワー・ディフェンス・そしてその冷静な試合運びを「人間離れしている」と畏怖されていたヒョードル。

生まれ持った才能に努力が加わったからこそ、世界最強の称号を手に入れることができたのでしょう。

そんな冷酷な男でも私生活では二人の娘のお父さん、遊園地のジェットコースターが大好きであり来日時は富士急ハイランドなどに行くのが習慣だそうです。

試合中は氷の様な目線でも、二人の娘さんとジェットコースターに乗っているときは太陽のような目をしているかと思うと微笑ましいですね。

ヒョードルのラストマッチまとめ

ラストマッチは2年ぶりの試合だったそうですが、
氷の拳で相手を沈めた年齢を感じさせない強さに世界中が再び沸きました。

人類最強の男の姿が見れなくなるのは寂しさがありますが、
間違いなく一時代を築きあげたその功績は永遠に語り継がれることと思います。

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